もう3月も下旬だっつうのに、毎日寒いですね・・・
皆さま、いかがお過ごしでしょうか??
さてさて、
下地貴之 展 ~それでも笑う覚悟はあるか!?~ただいま開催中でございます! (3/27 18時まで)
そんな中、前回の個展でも独自の視点で、素晴らしい
鑑賞力を見せてくださった、
亀有三丁目喫茶モアのご主人。
今回の個展でも、作品を一点一点じっくり観てくださり、
ご自身のブログにこんな
素敵な記事を書いてくださいましたッ!!
僕は、読み終わった後に鳥肌が立ちました。
鑑賞する・批評するとは、まさにこういうことを言うんだ!!と。
その批評の中に登場している、
三十路の壁 という作品が、こちら↓
三十路の壁 パネルに油彩 136.5×182.0cm 2004年
この作品、もうかれこれ8年前のものになるんですが、
なかなか、大きな画廊での個展に恵まれなかったため、出品する機会を逸しておりました。
今回、充分な広さのギャラリーでの個展ということで、久々に登場させて頂きました。
皮膚の張りや、髪の長さなど、わたくし若かったなぁ~と・・・
ま、そんな事はいいとして僕なりにこの作品を解説致しますと、、
まず絵画には、
【2次元平面に3次元空間の“錯覚”を、どう感じさせるか?】
ということを探ってきた、長~~い歴史があります。
(2次元平面に3次元空間を構築することを否定し、平面性を前面に打ち出す・・・
なんていうのは20世紀に入ってからのことで、絵画の歴史から見れば“つい先日”の話です。)
・・で、2次元平面に3次元空間の“錯覚”を構築するにあたり、
線遠近法・空気遠近法などを駆使し、先人画家たちがやってきたやり方とは、
奥(奥行き)を作る(感じさせる)ということです。
具体的には、例えば風景画ということで言えば、
一番奥(遠く)の空をしっかり抜けた空間として決めるということです。
絵画であるというルール上、
現実的に描かれているものが画面より手前に飛び出してくることはありません。
しかし、奥行きであれば理論上無限に作れますからね。
・・で、この
三十路の壁です。
背景は暗く、奥がどのぐらいの広さの空間なのかは判りません。
ただ、少なくとも裸体の僕自身が入り込めるだけの空間はありそうです。
窮屈そうに見えるのは、狭いところに押し込められたからなのか・・・?
それとも、このポーズのせいなのか・・・??
僕はここで、絵画空間に対するひとつのアンチテーゼとして、
奥を決めるという先人画家たちのやり方ではなく、
絵画面の一番手前に“向こう側から張り付く”という手法で、
平面性を強調し、理論上の絵画としての限界(これ以上、前に来られない)
ということを強く感じさせたいと考えました。
つまり、向こう側から張り付くことで、絵画面を強調し、
逆にその奥を、空間として感じて(認識して)もらえるのではないか??
ということです。
・・そして、
亀有三丁目喫茶モアのご主人だけが、実に見事にこの点に反応してくださっております!!
美術関係者でも、ここまで理解した上でこの作品を観て下さる方というのは、
一人もおりませんでした・・・。
モアのご主人、本っっ当にありがとうございますッ!!
以下は、部分です。
ほっぺたが、ムニ~ッと張り付いております。
手も、ピタッとね。
あまり目立ちませんが、このビーチク周辺も張り付いているんですよ~!
そして、批評の後半で、中学生(もしくは高校生)の表情を描いた2点
と、ご紹介くださっているのが、以下の2枚。
左)・・そんなぁ 右)・・だからぁ ともにパネルに油彩 F4号 2004年
・・もう、完っ全に脱帽です。。
ご主人は、自分の生き様や経験から、美術や絵画というアプローチ方法とは異なるやり方ながらも、
実に見事な批評をしてくださっている。
前回同様・・いや、前回以上に励みになります!!
モアのご主人、本当にありがとうございましたーッ!!!
そして、最後に。
偉そうに知識ばかりをひけらかし、「・・で、それは一体誰の意見ですか~??」
って、ツッコミたくなる批評家なんかより、
「観る」 という、全ての基本からスタートし、
その経験則から、がっつり自分の言葉でこうして文章にしてくださるご主人を目の当たりにして思うのは、
結局のところ
“鑑賞力”は己で鍛えるしかないッ! ということなのでした。
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